八ツ田和夫の幼少期

野球少年である小学生時代

八ツ田和夫は福岡の天神で幼少期を過ごし、資材の商社で働く父親の転勤により小学生時代は大阪で暮らしました。
八ツ田和夫は小学生の野球クラブチームに入っていたため、年中頭は丸坊主でした。
父親も大学まで野球部であったことから父親から祝日はバッティングフォームやフォークの握り方などを教えてもらいました。
好きな科目は体育と美術であり、美術では夏休みの宿題で八ツ田和夫の祖母の似顔絵を描き、佳作を受賞した経験も持つほどでした。
小学校の低学年の頃は野球クラブチームでもポジションにつかせてもらえず、球拾いや守備、バッティング練習がほとんどでした。
高学年になりピッチャーポジションを任せられるほどになりました。
また、初めての地区大会では2回戦まで進み、ピッチャーを任せられたが試合の中盤で4点を取られてしまい負けてしまいました。
それ以来も何度か試合に出るものの、同学年とのポジション争いがあり、たまに外野を任せられることもありました。
野球や学校の後は家の近くに裏山があったことから友達と秘密基地を作ることや探検などに明け暮れていました。
家にいるときはグローブ磨きやプラモデル作成を日課にしており、このころからこつこつと几帳面な性格が出ていました。
また、学校では自然好きであったことからニワトリと池にいる鯉の世話係を担当していました。餌やりだけでなく掃除の面倒も見ていました。

柔道に熱中し、そして就職へ

中学時代の八ツ田和夫は部活動の見学周りで柔道部を見学し、身長の低い人がもう一方の人を背負い投げしており、比較的身長の小さかった八ツ田和夫は自分にも向いているかもしれないと柔道部に入部しました。
八ツ田和夫は模型作りが好きであったことから技術などの授業が好きでした。しかし、数学や国語などはあまり好まず、実際に手を動かしたりするような科目の方が好きでした。
彼は柔道部の練習は好きでしたが寝技の練習は周囲より体格が小さかったため、苦手でした。しかし、野球をしていたことから体力は他の部員よりも自信がありました。
中学の二年生頃から体格が大きくなり、柔道では地区大会で準優勝を取るまでになりました。
中学の受験では私立の工業高校に行きました。
高校では電気工学を勉強しましたがあまり関心はなく、中学より続けている柔道部に集中していました。
プライベートでは野球の経験もあったことから野球部の友達も多く、休みの日は同級生たちと地元を出て、よく梅田に遊びに行きました。
高校二年生では柔道で背中を痛めてしまい一ヶ月間練習に出られないこともありました。
彼は夏休みの間は学校の補修などでよく学校に行っていましたが友達も多く、帰りはよくボウリングに行きました。
高校三年の時ほとんどが就職をする中、彼も自動車整備の会社に就職を決めました。
卒業までの春休みの間はバイクの免許を取りました。

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