脚本家・小田倉哲治さんのプロフィール

小田倉哲治さんは富山県出身の脚本家です。銀行員の父と看護師の母、3つ上の兄の4人家族で、地主の家系ということもあり裕福な家庭で育ちました。小さな頃は活発で、野球やサッカーなど様々なスポーツをしていましたが、小学校高学年になった頃からはサッカーに専念し、レギュラー選手として県大会に出場し優勝、全国大会でも活躍しました。

中学校でもサッカー部に所属し1年生から活躍しレギュラーの座を掴みました。3年生の時には全国大会に出場、ベスト8にまで進み、小田倉哲治自身も大会通算で4得点をあげる活躍ぶりでした。多くのサッカー強豪校からスカウトがありましたが、全国大会で能力の限界を感じていたためプロのサッカー選手になる道は断念し、サッカー部のない進学校へ進みました。小田倉哲治が進学した高校は富山県内でも有数の進学校で、東大、京大、医学部に毎年多くの合格者を出している高校です。小田倉哲治は、高校ではクラブには入らず、有名大学へ進学するために勉強に集中しました。

小田倉哲治は中学校を卒業するまでサッカーに集中していたため無趣味でしたが、高校に入ってできた友人の影響で、映画を見ることが趣味になりました。映画に興味を持ち始めた頃には新作映画ばかり見ていましたが、興味のジャンルが次第に広がり名画座に通うようになりました。名画座に通うための費用を捻出するためにアルバイトも始めたため、次第に学校の成績が下がりました。映画に熱中するに連れ、自分でも映画を撮りたいという欲求が強くなりましたが、小田倉哲治が通っていた高校には映画研究会がなく、映画が好きな友人たちも映画鑑賞が趣味で、映画を撮りたいたい者は皆無でした。

小田倉哲治は映画が撮れない悔しさからシナリオを書き始め、映画雑誌が主催する賞に応募するようになりました。シナリオを書く度に応募しましたが全く賞に絡むことなく高校生活が過ぎて行きました。高校3年生になって進路選択を迫られる時期になると、映画関係の道へ進みたい気持ちが強くなっていたため、放送学科のある大学へ進学しました。

入学した大学には、マスコミや映画関係の仕事を志望する人が集まっていて大きな刺激を受け、加入した演劇サークルで気のあった仲間たちと劇団を立ち上げ、役者兼脚本家として活動を開始しました。折からの小劇場ブームで劇団の知名度が上がるに連れ、座付き作家として小田倉哲治も有名になりました。現在は、劇団のための脚本だけでなくテレビドラマや映画の脚本も多く手がけ、コントや漫才の脚本も執筆するなど活躍の場を広げています。

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