後藤則敬さんの写真に救われてきた人生

家族の絆が表れる写真

後藤則敬さんの両親は幼い頃から世界各国を飛び回る働き者でした。
そのため後藤則敬さんは幼い頃から基本的に父方の祖父と共に生活していました。
両親は休みができればすぐさま帰宅してくれましたし、祖父母も後藤則敬さんに常に温かく接してくれた人達だったため大きな寂しさは感じませんでしたが、幼い頃の後藤さんは時々両親が恋しくなる事がありました。
そこで両親が旅先から送ってくれる写真を見る事で二人への思いを解消していたのです。
後藤さんの両親は二人共スナップ写真の撮影が大好きであり、海外では一度の旅行で100枚以上写真を撮影して息子に届けてくれたのです。
それによって後藤さんは異国の生活に思いを馳せるだけでなく両親の暮らしを想像する事ができたのでした。
数多くの写真を眺める生活は後藤さんの心から寂しさを消し去り、それ以上に世界各国に対する憧れと冒険心を募らせてくれました。
そこで後藤さんが小学校に上がった頃両親から一眼レフのカメラを購入してもらい、様々な場所を個人的に撮影するようになったのです。
後藤さんは小学生でありながら電車を乗り継いで旅する事もできるほど早熟した少年でした。
十代の頃は日本国内の様々な場所に一人旅し、両親と同じように写真を撮り続けたのです。
カメラは後藤さんにとって心と生活を豊かにしてくれる大切なツールだったのです。

写真が繋げる人の縁

後藤則敬さんは大学に入ってから初めて恋人を作りました。
それまで人物写真よりも風景写真を好んで撮影していた後藤則敬さんでしたが、彼女から褒められた事によって人物もライフワークとして撮影するようになったのです。
後藤則敬さんにとって写真は自分の心を救ってくれるごく個人的な芸術作品であり、お金を稼ぐための手段ではありませんでした。
そのためプロのカメラマンを志した事はありませんでしたが、大学生の頃はどこかで人に自分の写真を見て評価してほしいと言う気持ちが大きかったのです。
そこで後藤さんは仲間と一緒にインターネットサイトを立ち上げ、自分達の撮影した写真を掲載しました。
インターネットが全国的に浸透していない時代の事ですから爆発的な支持は得られませんでしたが、それでも同じく写真撮影を趣味にする人達から感想のメールが得られたのは後藤さんにとって良い思い出です。
サイトは後藤さんや仲間の就職と同時に閉鎖しましたが、サイト経由で知り合った人達とは社会人になった後も定期的に交流しているのです。
大学を卒業した後、後藤さんは建設会社に就職しました。
その頃は大学で知り合った恋人とは別れていましたが、友人の紹介で知り合った女性と付き合うようになって結婚したのです。
新しい恋人は写真に対する造詣が深い人であり、好きな写真家の話で二人は意気投合しました。
二人が惹かれ合うのにそう時間はかからなかったのです。

受け継がれる写真への愛

後藤則敬さんと奥さんの間には二人の子供が生まれました。
建設会社に就職してから何度か転勤した後藤則敬さんはその都度都内で暮らしている妻や子供達と離れて単身赴任しなければいけませんでしたが、妻が送ってくれる子供達の写真がいつも自身の心を癒してくれたのです。
写真があれば後藤さんは自分の目の前に見るように子供達の成長を思い浮かべる事ができました。
また日本各地で撮影した写真を幼い子供達に送る事によって、かつて両親が自分にしてくれたように各地域の雰囲気を伝える事ができたのです。
子供達が成長し、後藤さんが定年退職した後は妻と共に世界各国を旅行するようになりました。
旅先で出会った人達に自身が撮影した写真を送ると常に喜んでもらえるため、それが後藤さんの生き甲斐となったのです。
また後藤さん自身も現地で撮った写真を日本で見る事によって異国の地にいる大切な人達に思いを馳せる事ができたのです。
こうした後藤さんの趣味は子供や孫達にも受け継がれています。
かつて後藤さんが子供達にそうしたように、今度は孫が日本各地で撮影した写真を後藤さんに送ってくれるようになりました。
孫はプロのカメラマンを目指しており、後藤さんを深く敬愛しています。
後藤則敬さんにとって写真は単なる趣味ではなく、人生の中で常に他人と自分の絆を結び付けてくれる大切なものなのです。

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